ジミー・カーター元大統領が死去。彼の生涯は、ユダヤ人と複雑で非常に対立的な関係にあった。在任中、ユダヤ人を支援する政策をいくつか推進したが、反ユダヤ主義と反射的な反イスラエルの言説にも従事した。その遺産と論争に迫ります。

2023年99歳のジミー・カーター
ジミー・カーターの生涯と業績
ジミー・カーターは、1977年から1981年にアメリカ第39代大統領を務め、中東和平を目指したキャンプ・デービッド合意を実現させたことで知られます。その業績は歴史的な意義を持つ一方で、高インフレとエネルギー価格高騰による経済政策の失敗やイラン人質事件でアメリカ人人質を解放出来なかったことにより低支持率を招きました。
彼の死去により、ユダヤ社会では複雑な反応が見られました。一部からは、イスラエル政策への厳しい批判を再評価する声が上がる一方、反ユダヤ主義のレッテルについての議論が再燃しました。しかし、カーターが一貫して追求した平和と対話の精神を尊重する意見も多く、彼の遺産が再び注目されています。

キャンプデービッドでカーター立ち会いのもと握手をするエジプトサダト大統領とイスラエルベギン首相

キャンプデービッドで「キャンプデービッド原則」だ「キャンプデービッド精神」だとクソ言ってキャンプデービッドごっこするクソ支持率三兄弟バイデンユン岸田。その後、3人そろって選挙大敗www
「ユダヤ人が多すぎる」と不満を漏らす
1978年、カーターは米国ホロコースト記念評議会を設立した。著名な法学教授モンロー・フリードマンが評議会の議長を務め、最終的に今日の米国ホロコースト記念博物館の設立を勧告した。
数年後、フリードマン教授は、カーターが「ユダヤ人が多すぎる」と不満を漏らしていたことを語る。カーターは、評議会メンバーにユダヤ人が多過ぎるとの発言をし、評議会の理事にも選ばれませんでした。
なお、“too many Jews”ユダヤ人が多すぎるというワードはよく使われるワードです。あらゆる場面で主要ポストやメンバーがユダヤ人ということはよくあるからです。
米国のイスラエル反ボイコット法
1979年、カーター大統領の奨励により、米国はイスラエル反ボイコット法(IABA)を可決した。米国の各州はイスラエルやイスラエルと取引のある企業をボイコットすることを違法とすることができ、またイスラエルをボイコットすることは連邦犯罪となる。
この法案は、パレスチナ人主導する非暴力運動で、イスラエルに対するボイコット、投資撤退、制裁を求めるBDS運動の呼びかけに応じたものだった。
後にカーターは2019年にBDS運動の正当性を公式に発表した。
イラン系ユダヤ人に命綱を提供する
1978年から1979年、カーターはイラン革命から逃れてきた何万人ものイラン系ユダヤ人が米国に渡航できるよう、特別なビザのカテゴリーを設けることを許可した。
ソ連のユダヤ人への援助
カーターはソ連に圧力をかけ、より多くの「拒否者」、つまりソ連を離れることを望むユダヤ人の移住を認めさせた。彼の圧力の結果、年間2万5000人のユダヤ人がイスラエルや米国への移住を許可された可能性がある。
大統領選で敗北したのはユダヤ人のせい
1980年、カーターはロナルド・レーガンに圧倒的な差で敗れ、選挙人投票でレーガンの489票に対してわずか49票しか獲得できなかった。圧倒的な敗北にもかかわらず、カーターはアメリカのユダヤ人を非難した。

ジミー・カーター支持率

ジョー・バイデン支持率
1980年の大統領選挙と2024年の大統領選挙は類似点が多いです。カーターもバイデンも高インフレで国民生活を直撃し経済政策の失敗、党に対する不信感。そして外交政策の失敗により米国の弱さを露呈しリーダーシップの弱さが問題となってます。反面、強い米国を強調し、強いリーダーシップを掲げたレーガン、トランプに敗北しました。カーターもバイデンもユダヤの支持を失ったことは明確です。バイデン立候補の際、寄付金が集まらないと報じられてました。民主党の寄付金とはユダヤマネーのことです。
ノーベル平和賞受賞
2002年にユダヤノーベル平和賞を受賞。
受賞理由
ノーベル委員会は、カーターの受賞理由を次のように述べています:
- 国際的な調停と外交
- 大統領在任中(1977–1981)、カーターは中東和平を目指した「キャンプ・デービッド合意」(1978年)を実現しました。この合意は、イスラエルとエジプトの間で和平条約が締結される基盤を築きました。
- これは中東の長期的な和平に向けた重要な第一歩とされました。
- 大統領退任後の活動
- 1982年に設立したカーター・センターを通じて、世界中の紛争地域での調停、選挙監視、人権擁護活動を展開しました。
- 特に、アフリカ、アジア、ラテンアメリカでの選挙監視活動や感染症撲滅運動(例:ギニア虫病撲滅)に貢献しました。
- 北朝鮮やハイチなど、緊張の高まる地域で平和的解決を模索する非公式の外交を行いました。
- 倫理的リーダーシップ
- カーターの活動は、力や武力に頼らない倫理的リーダーシップの模範として評価されました。
- 人権を外交の中心に据えた姿勢は、大統領退任後も一貫していました。
「キャンプ・デービッド合意」というユダヤのため尽力したことが評価されました。つまり、この時点ではカーターとユダヤの関係は良好だったということになります。

イスラエルとの関係とアパルトヘイト批判
ジミー・カーターは2006年に著書『パレスチナ: アパルトヘイトではない平和』を出版し、イスラエルの占領政策を公然と批判しました。この本の中で彼は、イスラエルがパレスチナ人に対して行っている政策を「アパルトヘイト」と比較し、国際社会の注意を喚起しました。この発言は、イスラエル擁護派を中心に激しい反発を引き起こし、カーターに対する非難が相次ぎました。
カーターの批判は、単なる攻撃ではなく、持続可能な二国家解決を目指す平和的提言としての側面もありました。しかし、イスラエル擁護派の一部からは「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られることとなり、彼の発言が意図するところがしばしば歪められて解釈されました。それでも、カーターの発言はパレスチナ問題をめぐる国際的な議論を活性化させる契機となり、今日でもその影響は議論の的となっています。

カーター大統領、元ナチス SS 警備員のために仲裁
2007年、カーターが 1987 年に元ナチス SS 警備員の家族のために仲裁した経緯を詳述した。米国は、殺人罪で記録されているナチス強制収容所の警備員を国外追放しており、カーターは、ナチスの子供や孫が普通の家族生活を送れるように、政府にナチスの米国への再入国を許可してもらおうとしていたようです。ナチスのユダヤ人犠牲者が決して享受する機会がなかったのは明らかです。
反ユダヤ主義のレッテルとその真意
ジミー・カーターは、イスラエル政策への批判により、しばしば「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られることがありました。この批判は特に、彼の著書や公の発言がイスラエル擁護派によって取り上げられた際に強まりました。しかし、カーター自身は反ユダヤ主義とは無縁であり、むしろ彼の発言は正当な政策批判としての性質を持っていました。
名誉毀損防止同盟ADLのエイブ・フォックスマン代表はカーター元大統領を「偏屈者」と呼んだ。現在バイデン政権の反ユダヤ主義特使を務めるデボラ・リップシュタット氏は、カーター元大統領は「ユダヤ人問題」を抱えていると非難した。米国の憲法弁護士でイスラエルの熱心な擁護者であるアラン・ダーショウィッツ氏は、カーター元大統領はイスラエル人とユダヤ人を怒らせるために始めたと述べた。
カーターは、「反ユダヤ主義」という言葉がイスラエル政策に対する正当な批判を封じ込めるために利用されていると指摘しました。彼は、自身の立場を弁明する中で、ユダヤ社会との長年の協力関係や、彼がユダヤ人リーダーとともに行った平和構築の努力を強調しました。
ロサンゼルス タイムズ紙のインタビューで、カーターは、イスラエルを批判する勇気を持ったことで、権力のあるユダヤ人から被害を受けていると主張した。彼は、イスラエルについて「バランスのとれた立場」を表明することは誰にとっても「政治的自殺行為」だと述べた。CNN で、カーターは「我が国でメディアを沈黙させている、ユダヤ人によるものすごい脅迫」について不満を述べた。明らかに、それはユダヤ人によるものだと示唆していた。アルジャジーラ テレビでカーターは、自分の本に対する本当の批判は、二枚舌のユダヤ人の取るに足らない愚痴だと軽く一蹴し、「私の本に対する非難のほとんどは、ユダヤ系アメリカ人の組織から来た」と断言した。
世間の評価は分かれていましたが、多くの専門家や人権活動家は、カーターの批判が反ユダヤ主義とは無関係であると認識していました。彼の発言は、イスラエルとパレスチナの両方に公平な視点を提供し、持続可能な和平解決を模索するための重要な議論の一部とされてきました。

ジミー・カーターは2009年8月27日、ラマラ近郊のヨルダン川西岸のビリン村を訪問した際、物議を醸しているイスラエルの壁の前に立っている。
イスラエルの「アパルトヘイト」に関するカーター氏の著書は反ユダヤ主義的だと批判されたが、それは先見の明があったのだろうか?
遠回しにせずカーターを反ユダヤ主義者と呼ぶ者もいた。親イスラエルの圧力団体はニューヨークタイムズ紙に広告を掲載し、カーター大統領が「イスラエルの絶滅を追求する」者たちを支援しており、「反イスラエルの敵意に盲目になっている」と主張していると非難した。
しかし、ほぼ20年が経ち、イスラエルの有力政治家や主要な人権団体が現在、イスラエルが国際法に違反してパレスチナ人に一種のアパルトヘイトを課していると非難していることを考えると、この本は先見の明があったように思える。
反シオニストユダヤ団体からの支持は当然あるものの、直接の支援してることを示すものは確認できませんでした。英国the Guardianの記事のいうところの「先見の明」とはまさにその通りなところです。
ユダヤ社会との深い結びつき
ジミー・カーターは、反ユダヤ主義のレッテルを貼られた一方で、ユダヤ社会との深い結びつきを持っていました。彼は大統領としてだけでなく、個人としてもユダヤ人リーダーやコミュニティと対話を重ね、平和構築における協力を模索しました。
カーター政権下では、ユダヤ人コミュニティの意見が政策決定に影響を与える場面も多く、彼自身もその重要性を認識していました。特に中東和平において、アメリカ国内のユダヤ人団体との協議は欠かせないものでした。また、彼が設立したカーター財団は、イスラエルとパレスチナの対話を促進するための取り組みを継続的に行っています。
彼のユダヤ社会との関係は、単なる外交上の必要性だけでなく、信仰や道徳的責任感に根ざしたものでした。このような関係性は、彼の政策批判が反ユダヤ主義ではなく、建設的な対話の一環であるとの意見もあります。
カーターの遺産と今後への影響
ジミー・カーターの死去は、その遺産と現在のイスラエル・パレスチナ問題への影響を巡る議論を再燃させました。彼の平和を追求する姿勢は、現代のガザ危機を含む中東の紛争にも新たな視点を提供しています。
カーターの批判と提言は、現在のガザ情勢にも影響を与えており、一部では彼の提唱した二国家解決案が再び注目を集めています。彼の死去を機に、多くの指導者や国際的な団体が、パレスチナ問題に対する包括的な解決策を模索する声を強めています。
また、彼の死後、多くの識者が彼のアプローチを再評価し、現代における和平構築の可能性について議論しています。カーターが残した教訓は、ガザにおける人道的危機をはじめ、世界各地の紛争解決において重要な指針となるでしょう。彼の生涯を通じた取り組みは、今なお私たちに平和の価値を問いかけています。
まとめ
日本メディアはジミー・カーターの死去を報じるだけで、その影響を一切伝えておりません。「イスラエルのアパルトヘイト」を踏まえ大きく注目すべき事案です。
ジミー・カーターが知事、大統領になれたのはユダヤの支援によるものです。大統領就任時にユダヤやイスラエルのため尽力しました。しかし、大統領退任後は「反ユダヤ」な面が数多く見られ、「反ユダヤ」のレッテルも貼られております。
南アフリカのアパルトヘイトも多くのユダヤ人は体制に反対はしませんでした。一部のユダヤ人がネルソン・マンデラを支持した歴史からも見られるように、バランスを取るための反対勢力が現れることはユダヤ絡みの案件では常套手段です。「両建て戦略」がよく見られます。
カーターの晩年は「両建て戦略」なのか、それとも「反ユダヤ」なのか。彼の発言を拾うと、著作でイスラエルの政策を非難し、「イスラエルのアパルトヘイト」の発言をしているが、パレスチナの人権問題を指摘してるのであって、それに対してユダヤ団体が「反ユダヤ」のレッテルをつけ文句を言う、カーターが「二枚舌のユダヤ人の取るに足らない愚痴」と言ってるように「反ユダヤ」「両建て戦略」で騒ぎ立ててるのは米国ユダヤ団体側です。
カーターは反ユダヤ、反イスラエル、反シオニズムそのものを掲げているわけではなく、イスラエルの占領政策やパレスチナ問題の不公正さを指摘することに重点を置いている。それに対して米国ユダヤ団体がカーターを非難するという絵図です。米国ユダヤ団体からの見当違いな非難に対し、カーターも苦言を述べうんざりしてるというとこです。米国メディアをみても非難もあれば
結論として、カーターとユダヤは複雑な関係であり対立している。米国ユダヤはカーターで「反ユダヤ」だと「両建て戦略」してますが、カーター自身は反ユダヤを言ってるわけではない、ユダヤからの嫌がらせにはうんざりしてるというところに見えます。
余談

栗本薫のSFパロディ「火星の大統領カーター」。ジョン・カーターと名前が似てるってだけで大統領選挙負けたジミー・カーターが目が冷めたら火星だったって話w
これを読んでジミー・カーターに注目してたのですが、昔はユダヤの真実は知らんかったので、大統領辞めた後、街中で清掃ボランティアしてたりな感じの良いお爺ちゃんなイメージでしたが、改めて調べてみて、こんなにもユダヤとズブズブでかつユダヤと闘ってたいたとは知りませんでした。